福岡気功の会について

福岡気功の会とは?

福岡気功の会は、本部を福岡市内におく、日本でもっとも古くから活動している気功団体の一つです。
気功を学ぶ場として、福岡市、北九州市をはじめ近郊の市域に40ほどの教室があり、気功情報を発信する基地として会誌を定期発行しパンフレットを刊行し、経験と知恵を交換するため講習会や交流事業を展開しています。
入会に制約はありません。
だれでも、いつでも入会できます。

現在、福岡気功の会の会員数は200名ほど。
往年の勢いはありません。会員の年齢も高くなっています。
でも志気は高い。気持ちは温かい。
気功はよいものですから、社会の中で活かされなければなりませんし、若い世代に引き継がれていかなければなりません。
ホームぺージを公開するのも、その目的を目指してのことです。

福岡気功の会は、
1.指導者の質が高く、粒揃いである。
2.教材が揃っていて指導が行き届いている。
3.教室指導以外の全体活動(練功会、研修会、講習会など)が充実している。
4.非常に質の高い。会報(会誌『身体知』)やパンフレットが充実している。
5.指導者養成に熱心である。
6.気功を普及させようというコンセプトが一貫している。

会長のあいさつ

福岡気功の会の気功を一言で特徴づけるとしたら、
それはクオリティが高く、
オーソドックスな気功である
ということでしょう。
気功を営利のためではなく、
社会を洗練させるために還元しようと
地道に活動しております。

はじめての方で
福岡・北九州市域にある教室で学びたい方に…

はじめての方で
DVDとテキストで自宅で学びたい方に…

気功をしていて抱いた疑問や困難にヒントが得られたら
と訪ねて来られた方に…

研修や講習のプログラムに気功・呼吸法・瞑想が適当ではないかと
検討している方に…

命の不思議、身体や霊性への関心を深めたい
と思っている方に…

これから地域で気功や健康法を教えられる指導者になりたい
と思っている方に…

このサイト情報はきっと役に立つでしょう。

福岡気功の会 会長 山部嘉彦

福岡気功の会の歴史

福岡気功の会は、現在NPO法人として活動しています。それ以前は福岡市内外の気功仲間の学びの場、普及のための任意団体でした。

最初はたった3人で始まりました。1986年の11月でした。
翌年、相次いで中国人気功家が福岡を訪れたのをきっかけに、教室が増え、翌々年には朝日カルチャーセンターに講座が開設されて、大きくなりはじめました。

1990年前後は、気功はマスコミにも頻繁に取り上げられ、一躍ブームとなりました。福岡気功の会の会員数も瞬く間に100人以上になってしまいました。

その間、日本の気功の非営利的活動をリードしていたのは関西気功協会の津村喬氏でした。教室の形態も、会の運営の仕方も、中国気功とのつきあい方も、気功に対する考え方も、多くの団体が彼の考え方をペースにして活動していました。
中国に気功を習いにいく「観気旅行」というコンセプトも、中国人気功家の人脈も、関西気功協会の津村氏のリーダーシップによるものです。

福岡気功の会は当初から現理事長の山部嘉彦がリーダーとなって活動してきましたが、教室が増えるにつれて組織的に運営する必要が生じてきました。
そこで、会員総会・運営委員会を組織し、年間の活動計画を企画し、予算を組み、会計を公開し、内外に対処する形を整えました。1994年ころの会員数は300名を越え、カルチャーセンターなどで会の指導員に教えられている受講生を含めると総勢500名を越える組織に成長しました。

1995年は「気功業界」にとってターニングポイントとなりました。
阪神淡路大震災が起こり、オーム真理教事件が起きました。
このふたつの事件をきっかけにして世間の「浮かれた」気分が一気にしぼみました。
いわゆるバブルがはじけた影響が社会の隅々まで及び、気功の普及も足踏み状態となり、自然退会する人も増えました。

この「気功業界」の逆境を福岡気功の会が乗り越えることができたのは年一回の中国観気旅行と夏の「みろくの里気功合宿」で実力をつけてきたからでした。この二つの深い学びの場で、福岡気功の会の指導者は成長することができました。一方、1990年代後半の中国ではいわゆる社会気功・宗教気功が席巻していました。
開放経済が急成長をとげ、荒々しい競争社会へと変貌した中国社会の人口密集地では精神的な救いを求めて、気功を隠れ蓑とした新興宗教に関心が集まりはじめていたのです。
そのトップランナーが法輪功集団でした。法輪功は共産党指導部にとって脅威となるほど肥大化しました。一説では数億人が法輪功に集まったそうです。いろいろな事件が起きました。気功を野放しにしておいたら統制ができなくなるからというわけで、大弾圧が始まりました。1999年から2002年まで、中国気功は仮死状態に陥ったのです。
その影響は、少なからず日本にも及び、ただでもジリ貧だった非営利的な気功団体は縮小再生産状態になっていきました。

関西気功協会が解散したのはそのころです。
東京の気功団体は例外なく、中国からやってくる中国人気功家の強い影響を受けざるをえなかったため、日本の気功の独自な展開がしにくい状況にありました。中国の先生に習うスタイルをとるところは横のつながりがほとんどなく、中国気功を吟味する意欲にも欠けていました。
そんなところに中国本土における気功指導が不可能になった気功家たちは東京めがけてやってきたのですからトラブルが起きないわけがありませんでした。

気功は日本で市民権を得る可能性を小さくしていきました。日本人の気功指導を担う後継者も育ちにくい状態だったのです。

中国政府肝入りで編集された《健身気功》が入ってきてからも、受け皿がなく、そのレベルの低さと相俟って気功の評判は落ちる一方でした。

それに、中国の江沢民による反日教育と日本の小泉元首相による反共政策がぶつかり合って反日・反中気分が高まったことも気功の伸展を阻害する要因として働きました。入会してくる人の数がめっきり減ってきました。このままだと、気功は自然消滅してしまいかねません。

こうした状況を踏まえ、21世紀になってから福岡気功の会は質のよい中国気功を土台として日本の気功にいくつかの自己主張を盛り込み、独自の可能性を追求する姿勢をいっそうハッキリさせています。
会長・山部嘉彦は、札幌、東京、大阪の気功愛好家に呼びかけ、これまでの練功体験を根付かせる試みをハイパーレッスンというコンセプトで開始しました。
これは中国の健身気功に対するアンチテーゼでもありました。そして気功の目的がたんに健康を維持促進するためではないことを具体的に示すことでもありました。

その一方で、福岡気功の会は通信教育事業に着手しました。これまで気功は数限られた巨大都市でしか習う機会がありませんでした。これを映像テキストを配信しコーチスタッフがマンツーマンでフォローする体制を調えましたので全国どこででもマイペースで学ぶことができるようになりました。また自分の健康に自分が責任を持つという考え方を実践するには、その模範例を具体的に示す必要があります。この観点からヘルスカスタムコースがプランとして提案されたのです。

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